「基本に立ち返る」ことの重要性。
どんなに前に進んでいたとしても、どんなに上手くいっていたとしても伸び悩む時がある。
上手くいかなくなる時がある。
今がその状況の人もいれば、今上手くいっている人もいる。
だからと言ってあいつが〜何て言っていても成長には繋がらない。
自分のためにならない。
そう言う時こそ、「基本に立ち返る」ことが重要だ。
複雑になっていることをシンプルにする。
言葉にすると簡単だが、実際にやってみると意外と難しかったりする。
だからこそシンプルにしようと取り組むことに価値がある。
上手くいっている時には上手くいっている時の価値や過ごし方がある。
上手くいかない時は上手くいかない時の価値や過ごし方がある。
意味がないなんて思ってしまうともったいない。
「意味は自分で見出す」ことが重要。
成長の速度を爆速で上げていく時には上手くいっている時がベストだと感じる。
周りをよく見ることや自分自身を見つめ直すことは上手くいっていない時がより深掘りできると私は感じている。
どんな状況でも自分が成長できるきっかけはある。
耐えて時が来るのを待つのも選択。
心機一転して今までのことを辞めて新しいことを始めるのも選択。
大切なことは「基本に立ち返る」こと。
基本に立ち返った時に自分の中でブレないものが自分の軸になる。
今この瞬間を大切に、みんなで着実に成長していこう。
必ず出来る。
幸せになりたいと思えば思うほど幸せは遠のいていく。
幸せになりたい。
色んな人がこの言葉をよく発している。
まるで現在が不幸であると言いたいのだろうか。
不幸であると思うからこそこの言葉を発している。
そんなことを言う人間が幸せであると気づけるはずがない。
幸せは気づくもの。
生きているだけでラッキーなのである。
なぜなら生きるか死ぬかは毎日2分の1だからだ。
その中でもっとお金が〜やもっと何々だったら〜とかは意味がない。
自分が生きたいように生きる。
唯一言えるならこれが1番幸せな生き方だ。
幸せになりたいと言う人の心理にはあることが隠れている。
それは「安心したい」と言うことだ。
幸せになりたいには「安心したい」が隠れている。
もっとお金があれば幸せは、もっとお金があれば安心できる。
もっと何々だったら幸せは、もっと何々だったら安心できる。
もっともっとと追い詰めていってもキリがない。
だからこそ「今幸せであることをしっかりと理解する」必要がある。
強欲であればある程人は寂しくなるし、手放すのが怖くなる。
死んだら何も残らない。
だからと言ってああしろこうしろと私は強要しない。
自分が1番楽しいと思う幸せであると気づけることをおこなっていけるのがベターかもしれない。
体調が悪い時は迷わず休もう。
良い生活習慣をしていても、健康を意識した生活をしていても体調を崩す時はある。
そんな状態の時は真っ先に休もう。
そこで無理していても、もっと体調が悪くなるだけ。
身体に鞭を打ち続けるのはよくない。
身体が壊れるだけだ。
休む時はしっかり休む。
よく寝る、食べたいものを食べる。
そして日光を浴びる。
そして体調を元気にしていく。
なぜなら、人の資本は健康だから。
体の健康も心の健康も本当に大切。
自分の心と身体の健康は自分が守る。
自分を大切にしていくことで周りも大切にできる。
心が疲れたなと思った時は、距離をスッと取ることも大切。
楽しいと思う方向に全力でシフトさせて自分を楽しませよう。
病は気からやってくる。
気負いすぎずに、抜きすぎずに。
身体が健康だからこそ、色々なことができる。
1度失った健康はほとんど戻ってこない。
ゆっくり休んで、身体を整えて日々最善を尽くすのみ。
律儀な人には律儀で返し、無礼な人には無礼で返す。
礼儀を重んじる。謙虚でいる。
とても素晴らしいです。
最近では礼儀や謙虚さを求める割に求めてくる側が礼儀がなっていなかったり、傲慢な場合も多くあると思います。
または、クレーマーや過剰なサービスを求めるなどetc...
果たして本当にそれで良いのでしょうか。
例えるなら、1食1,000円の飲食店に1食5万円以上の飲食店レベルの接客を求めているようなものです。
それははっきり言って無理です。笑
お客様は神様ではありません。
払っている金額と同等のサービスが受けれるだけです。笑
価格や接客レベルに違いがあるからこそ、店の品格が変わるのです。
求めている客層や取り組むマーケティングが根本的に異なることをまず理解する必要がある。
社会的地位など全く関係なく、律儀な人は律儀ですし、無礼な人は無礼です。
社会的地位が高いから偉いなんてことはありません。
金をちょっと持っているから有利に人生が過ごしやすいだけです。今は。
災害などの状況が一変するようなことが起きたら社会的地位など意味がなくなります。
だからこそ、偉いとか偉くないとかそんなことに振り回される必要はありません。
ただ、会社内とかだと難しいと感じる部分もあると思います。
その点は分かります。
自分は偉いんだぞとか思っている人は今後成長することはほとんどない。
そういう人を反面教師にして自己研鑽に励む一択です。
世の中には色々な人がいて、色々な考えや価値観が存在している。
律儀な人や素晴らしい対応をされる方にはその対応に相応しい対応を取ることが多い。
逆に無礼な人には無礼な態度を取ることも多いのではと思います。
聖書ですら「目には目を、歯には歯を」と書かれています。
だからと言って一線超えてしまうような態度を取るのは違うと思います。
自分の成長のために様々な状況を体験していくことが大切です。
私自身もまだまだです。
だからこそ皆さんと一緒に成長していきます。
100戦99敗1勝。自分が在りたい姿でいることこそ成功なり。
失敗ばかりの人生かもしれない。
成功しているとは言えない人生かもしれない。
だからと言って自分がやり切ってないのに諦めるわけにはいかない。
綺麗にカッコよくなんてなくていい。
泥水を啜るような思いをしたっていい。
どんなことが起ころうとも自分が在りたい姿、なりたい姿のために努力し続ける。
本物はこの努力を数年、数十年という単位でやってのける。
正直恐ろしいかもしれない。
狂気の沙汰じゃないかもしれない。
大切なのは貴方にとって「何を成功の基準とするのか」である。
他人が決めた成功の基準で生きてて何が楽しい。
他人が決めた成功の基準で人と比べて優越感に浸ることに何の意味があるのか。
自分にとっての成功は「自分で決める」。
自分にとっての成功は「自分で選択する」。
自分がこうあると決めたらそこから引かない。
失敗や成功を重ね、その中で修正を加え続ける。
やりたいことや在りたい姿の実現のために「今我慢すること」も時には重要だ。
それを忍耐力と呼ぶ。
時には視点を変えることや発想を転換して新しい動きを取り入れることも重要だ。
物事を見る角度を変えれば、自ずと見える物も変わってくる。
本当に楽しんでる人と忍耐を積んできた人は両極的な考えだが、非常に強くタフだ。
どんだけ失敗したとしても最後に成功を掴めば、今までの失敗は全て仮定となる。
ニコラ・テスラという科学者は成功は99%の努力とそれを上回る1%の閃きと言っていた。
努力を積み重ねる中で、頭に浮かんでくるアイデアや考えが自分の成功を大きく引き寄せ、手助けしてくれる。
何をするにしても賛否両論ある。だから気にしない。
いつ誰が何しようとあらゆる批判が飛んでくる。
出る杭は打ち、出過ぎた杭は引き抜かれると言う言葉がある。
だが、現代では出過ぎた杭もぶっ叩く。
世も末とはこのことではないだろうか。
その分何をするにしても応援してくれる人もいる。
新しいことを始めようとするとやってみなよ。
応援してるよと声をかけてくれる人がいる。
この違いは何なのだろうか。
個人的には「行動」に差があるからだと感じている。
批判ばかりする人は批判をすることで自分を優位に見せようという側面がある。
自身は行動していないにも関わらずだ。
そう言った人のことは気にしなくて良い。
開きすぎた差に後から気付かされるからだ。
応援してくれる人は行動している人が多いという側面と、他人の幸せは私の幸せという価値観を持っている人が多い。
実際に応援しているなどの言葉を聞くと嬉しいものだ。
モチベーションを向上することにも繋がる。
ありがたい。
だが、何をしても賛否両論あるということは変わらない。
だからこそ、自分がやりたいこと、続けていることを夢中になって取り組むことが非常に重要である。
他人に振り回されない。
自分自身を持つ。
信念があるところから自分自身の道が開けるように。
諦めたやつと無知なやつから死んでいく。
「諦めたやつと無知なやつから死んでいく」
この言葉はチェルノブイリ原発事故の際に現地の人が発していた言葉だ。
簡単に諦めること、そして無知なことは時に人を苦しめる。
現在のコロナ禍を様々な視点から観察すると良く分かるのではないだろうか。
あまりにも諦めている人が多いし、そもそも情報を知らなさすぎる。
情報は兵器だ。さらに諸刃の剣でもある。
注意深く多くの視点から物事を知る必要がある。
私も全て理解しているわけではない。
恐らく今後多くの人が諦めて白旗をかざす場面が増えてくるのではないだろうか。
そして何も知らないまま、言いなりになり、家畜に成り下りかねない危険性が高い。
諦めるにはまだ早い。
ただ、私は諦めることは決して悪いことではないと思う。
やる前から諦めること、やっている途中で諦めることが良くないのだ。
諦めるのは全てを出し切ってからでも遅くはない。
やる前から諦めるのは自分が挑戦したくない、成功したくないと言っているのと同じだ。
そして諦めているのにもかかわらず、挑戦している人を批判する。
まさに負のループにハマっていると言える。
挑戦しない人間に成功はない。
挑戦しない人間に成長はない。
挑戦しない人間に人を批判する権利はない。
全てを出し切るまで、やり切る。
途中でだれてしまったとしてもだ。
やり切ることが1番大切だ。
諦めることと同じように無知は人を苦しめる。
何も知らないが故、情報をすぐ鵜呑みにしてしまう。
非常に危険だ。
マスコミの報道をそのまま信じ、実行する。
メリット、デメリットや報道の背景、そして真実を知ることなく。
無知は罪だ。
何も知らないのに知っている人を批判する風潮が強過ぎる。
恐らく今後数年も正しいことをする人を迫害する風潮は続くだろう。
自分達で気づくしか方法はないのだ。
何かおかしいと感じる感覚を持っておく必要がある。
気づいた人はすでに動き出している。
気づかない人は今後も気づかないまま人生を終える。
これは仕方がないことなのかもしれない。
気づかない選択を取り続けているのだから。
本当に骨抜きにされてしまっている人が多いのだろう。
私は悔しくてたまらない。
気づく人と気づかない人がいるが恐らく今年が今後の方向性を大きく定めることになる最後の1年になるかもしれない。
今年2021年は2局化が起こる最も大きな分岐点だ。
諦めること、無知なことの2つに共通して大切なことがある。
それは準備が重要であることだ。
何かが起こる前に準備しておかねば、何かが起こってからでは遅い。
先を見据えて、今準備しておけば何かが起こってある程度は対処できる。
今できることは今やっておく。
先延ばし、先延ばしの物事に未来はない。
今できることの最善を尽くし続けること。
これらが非常に重要であり、本質だと私は思う。
まとめ
簡単に諦めるのではなく、諦めるのはやり切った後でも遅くない。
無知なことは罪。様々な視点から物事を見極める。そして情報収集を怠らない。
あらかじめ準備しておくことが大切。
今できることの最善を尽くし続ける。