大東亜戦争(第二次世界大戦)までの日本にあって今の日本にないもの。


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大東亜戦争第二次世界大戦)までの日本人にあって今の日本人に決定的にないものがある。

それは「信仰心」である。

私は決して宗教に勧誘したいわけではい。事実を述べているだけだ。日本にはかつて「信仰」があった。しかし敗戦後、GHQによって天皇陛下人間宣言神道解体、漢字の旧字体から新字体に変更される、焚書等のことが行われた。そして現在に至り、多くの日本人は「骨抜き状態」にされてしまっている。日本人の高い「精神性」が奪われてしまっている。悔しくてしょうがない。

では、私達は一体何を信じているのか? 人によって信じることや信じる定義は様々だ。

ただ、経営者や成功者と呼ばれる人々には共通して何かしらを「信仰」しているという共通点が存在する。それは人によっては「宗教」、また違う人によっては「自分自身」を信仰している等様々かつ十人十色のように思われる。私は自分自身を強く尊び、厚く信じている。

かつて東日本大震災が起こった際、被災地に誰よりも早く駆けつけた人がいる。それは自衛隊ではなく、日本で会社を経営しているイスラムの人だった。震災が起こると自身の部下に会社を任せ、自身は工務店でトラックを借り、すぐに被災地に向かった。途中バリケードを張る警察を押し抜け、被災地に到着しカレーの炊き出しを行なった。

なぜ、その人が何か起こった際にすぐに行動できたのか現地の人が尋ねると、イスラム教の経典のコーランに困っている人を助けよとの教えがあったからである。

今あげた話のように「信仰」は時に凄まじい力を引き出すことが分かる。だからと言って私は決して強要はしない。

ただ、何かしらの分野で成功していると呼ばれる人の共通点を挙げたまでだ。私はまだまだペーペーにも慣れていない。だが、私は私自身を強く尊び、厚く信仰している。

 

現在ボロボロ状態の日本には「高い精神性」や「信仰」が非常に重要だ。金や名誉では決して買うことができない部分を再構築する必要があるのではないだろうか。