今日できることは今日やる。

今日はあれこれとやりたいな〜と思うことは多々あると思います。

でも気がつけば後回しになって結局やらないまま時間が過ぎてしまっていたりしませんか?

 

私自身も後でいいやと思って結局やれずじまいになってしまうこともあります。

だからこそ、今日やろうと思ったことや今日できることは今日やってしまう必要があります。

今日できることは明日もできるとは限りません。

今日やろうと思ったことに取り組めば明日は少し違う取り組みに時間を使うことができる。

その細かい積み重ねの差が大きな差を生むことになります。

今日できることをやってしまうと言う積み重ねの差が習慣となります。

今日できることは今日やる。

これを習慣にできるかどうかで人生の充実度は大きく変わります。

明日やろうは馬鹿野郎なのです。

 

上手いとか下手とかの関係はありません。

できるできないの関係もありません。

やるかやらないかの差です。

 

1歩でも2歩でも自分の人生を生きようと思えば自分が今日できることや、やってみたいことにすぐにでも取り掛かりましょう。

 

まとめ

今日できることは今日やる習慣をつける。

→ 今日できることを終わらせれば明日は違うことができる。習慣化することで人生の充実度が高まる。

明日やろうは馬鹿野郎。

後回しにすれば結果的にやらなくなる。後になればなるほど何倍も気力が必要になる。

今年もいつの間にか残り半年。気楽にいきましょう。

あっという間に1年の半分が今日で終わります。

人それぞれ上手くいったこと、いかなかったことあると思います。

上手くいった人は流れを生かしてさらに加速度的にトライしていくことが大切になります。

上手くいかなかった人は流れを呼び込めるように少しずつ変化を加えていく必要があります。

でも大事なのは「他人と比べない」と言うことです。

他人と比べて〇〇が〜と言って嘆く必要はありません。

もっと〇〇していかなきゃと思う必要もありません。

何故なら「〇〇しなきゃいけない」思えば思うほどできなくなっていくからです。

あれもこれもやっていく必要があると思う気持ちは分かります。

だからと言って必要以上に抱え込む必要はないです。

抽象的な言い方にはなりますがこっちの方が楽しそうとか面白そうと、自分の直感で感じることをやっていく方が良いです。

頭の中で思う以上に身体や自分の感覚は正直です。

難しく考えれば考えるほど物事はより難しくなっていきます。

気負い過ぎず気楽にいきましょう。

頑張ることは大切ですし素敵です。

頑張り過ぎてその頑張りが無理しているようになればなるほど自分自身が苦しくなってしまいます。

1度きりの人生です。

頑張るところは頑張ってしっかり休みやリフレッシュをしていきましょう。

人生楽しんだもん勝ちです。

無理し過ぎず、気楽に楽しんでいきましょう。

 

 

視点を変えて物事を見る。

日々色々なことがあると思います。

嬉しいこと、楽しいことが続けば嫌なこと苦しいことも続くことだってあると思います。

でも、自分自身と言う存在からは逃れられません。

苦しいことがあれば、気持ちが沈んでしまう事も分かります。

だからこそ、苦しい状況でも自分が面白いと思うことや楽しいと思うことを行うためにと、

視点を変えて考えてみることも時には大切です。

どこかで、前を向ければゆっくりではありますが着実に物事は好転していきます。

やるかやらないかの選択は全て自分自身にあると言っても過言ではありません。

人はいつの間にか杓子定規的に物事を見るようになってしまいます。

だからこそ、新しいことへの挑戦や従来のやり方を少し変えてみるといった変化が大切になります。

同じことの繰り返しでは維持するだけで精一杯になりかねません。

昨日の自分から少し変化を加えることが視点を変えることや視野の広がりに役立ちます。

例えばスリッパを逆から履いてみることや食事の順番を変えてみるなど。。。

少しで良いから変化を加えていくと新しい自分の発見につながることがあります。

視点を変えることや視野を広げるためにはバランスを崩すことが重要になります。

歩くことの1歩目はバランスを崩すことから始まります。

バランスを崩すからこそ安定がなくなり、次の1歩と足が進んでいきます。

安定が全てではありません。

挑戦や行動によって経験値を蓄えるからこそ視野や視点が変わっていきます。

全てはバランスを崩すことからです。

1人1人考え方が違うからこそ面白いです。

私の考え方に賛成反対それぞれ主張はあると思います。

色々な考え方に触れ、考え方のバランスを崩すからこそ人生に深みも面白みも出てくるのかもしれません。

色々な考えや発想にもっと触れていきたいなと思います。

 

 

改正銀行法の成立から思うこと。皆さんはどう思いますか?

世間ではコロナワクチンの話で持ちきりですね。

そんな中、6月19日の参議院本会議にて改正銀行法が賛成多数にて可決されました。

今日は改正銀行法が以前と比べ、どのような違いがあるのか等をニュース記事も交えながら解説していきます。

個人の思う事も含め、皆さんの考える際の1つのきっかけになれば幸いです。

まず、記事を貼っておきます。

www.nikkei.com

従来の銀行法は銀行の業務範囲を厳しく規制してきました。

理由としては様々な事業にうかつに手を出して失敗し経営が傾くようなことになれば、預金者保護などに支障をきたすからです。

現在、地域経済の疲弊や少子化、超低金利で銀行の収益基盤は揺らいでいます。

その一方で銀行界には楽天やアマゾンなどの流通大手やIT企業が参入しています。

地銀やメガバンクの幹部には「銀行法によって手足を縛られて身動きが取れない」という意見も多く出ていました。

今回の法改正にはそういった銀行へのガス抜きが込められている面も存在しています。

そして今回の改正銀行法成立に至った経緯もあります。

改正銀行法には、銀行に収益機会の拡大や新事業参入への道を広げるという目的があります。

銀行本体で自行アプリやITシステムの販売、広告や登録型人材派遣、高齢者の見守りサービスといったビジネス展開が改正銀行法によって可能になります。

規制緩和を先取りする動きとしては山形銀行の「TRYパートナーズ」の発足や山口FGの人材開発会社や投資ファンドと手を組んだアグリビジネスなどが挙げられます。

今後他の地銀も似たような動きを取る可能性が高いと言えます。

私個人としては銀行に限らず様々な企業が色々な分野に手を出すことで、ビジネスチャンスが広がる可能性があるとみています。

その反面、ある分野に特化した技術を持つ中小企業や零細企業は、経営の窮地に立つような場面も増えていき、倒産可能性が高まってきているとみています。

 

改正銀行法成立による変更点

 

①事業会社への出資上限における規制緩和

→従来上限5%(持株会社なら15%) 

→変更後 非上場企業には100%出資の可能

 

業務範囲の拡大

債務保証、ファイナンスリース、M&Aといった従来の付随業務に加え、広範なサービスの提供が可能になる

具体例:開発したシステムやアプリの販売、登録型人材派遣、見守りサービス、ビジネスマッチング、更には蓄積された顧客データの分析やマーケティング、広告業務への進出

 

 

上記2点が改正銀行法の大きな目玉になっています。

先月発表された三井住友FGと電通による共同出資会社の設立も今回の法改正を見込んだものだと考えられます。

フィンテックを背景に金融ビジネスの規制緩和が進み、銀行側の規制緩和に伴い、銀行の一般事業会社化も必然と言えなくもないです。

しかし、そうであれば銀行はその存在意義を自ら社会に問う必要があります

出資規制の緩和が単なるファンド化を意味する場合、必然として投資効率の高さが支援先企業の選別理由となる可能性が高いです。

出資先銀行からのプレッシャーが支援企業本来の事業戦略を歪める可能性もあるため一概に賛成とは私は思えません。

そもそも銀行の規制緩和には、優越的地位の濫用や利益相反のリスクが構造的にあります

顧客保護、顧客視点に立っての議論も不可欠です。

過去、問題になったスルガ銀行のような過度な利益追求によるコンプライアンスの逸脱がないことを強く願っています。

biz-journal.jp

改正銀行法の問題点

①融資ではなく100%の出資を可能にした点

→融資では金利を払うのみだが、出資だと比率によって経営権が持てるため

②100%出資の中には海外ファンドも含まれている点

→海外ファンドに開発した技術全てを搾取され、技術だけ奪われすぐ売り飛ばされる可能性があるため

③銀行が現金を求めた場合出資してすぐ売り飛ばす可能性がある点

→株式を多く持っている人に議決権があるため

 

現在、日本企業や日本経済はコロナ禍の経済危機に伴い疲弊しています。

他国に比べ、補償が少なく、飲食店を始めに倒産件数も増えています。

現状を見た上で雇用機会は失われていると言えます。

そして、タイミングを合わせたかの如く今回の改正銀行法の成立です。

今後M&Aは加速度的に行われていきます。

それに伴い、合理化という名の下に雇用機会はさらに失われていくことでしょう。

雇用が失われれば、地域の消費も小さくなり、地域も衰退していくことでしょう。

所得の二極化が進むことは間違いないと考えられます。

どのように捉えるかは皆さん次第ですし、改正銀行法をチャンスにするもピンチにするも捉え方次第だと思います。

良いと思うものには良いとダメだと思うことにはダメと言っていきましょう。

1人1人が出来ることを出来るところから始めていくことが大切です。

 

 


さよならストレスまた今度。

ストレス過多の世の中です。

あっちを気にしてこっちを気にしてと、日々色々なことに頭を悩ませていると思います。

周りの目が気になって思うように生きれていない人も多くいると思います。

日常生活やビジネスにおいて自分の言いたいことを我慢して相手に合わせることも少なからずあると思います。

好きでもない人に愛想を振りまいて、自分を隠すこともあると思います。

嫌われたくないという理由があるから。

こういった中で、本音で生きれている人は一体何人いるのでしょう。

やりたくないことをいつまで我慢してやっているのでしょう。

 

この世の全員が私や貴方を好きになると言うことはあり得ません。

誰かに好かれている裏では誰かに嫌われています。

 

嫌われたって良いと思います。

自分が本音で生きる為なら。

自分がやりたいことをやれる為なら。

 

本当はこう思っているのに。。。

本当はこんなことしてみたいのに。。。

やりたいことがあるならすぐにでもやった方が良いです。

やりたいことやって生きている人を羨ましいと思うなら、自分も下手なりにでもやってみるべきだと私は思います。

簡単に上手くいかないから、試行錯誤ができる。

簡単に上手くいかないから、新しい自分の可能性を発見できる。

 

どんなに成功しても失敗しても結局全員死ぬことに変わりはありません。

どうせ死ぬからこそ、やりたいことをやって思い切り楽しむだけです。

 

人生に目的は存在しません。

今を楽しむことが全てです。

人生の目的が存在しないからこそ自分で見出していくものです。

 

ストレスの9割は人間関係です。

自分がやりたくないことや好かない人との時間を極力少なくしていきましょう。

それこそ1秒単位でも嫌なことをする時間は少なくした方が良いと私は思いますし、実践しています。

そして、自分にも他人にも過剰に期待しないことも大切です。

下手に見返りを求めて自分で自分を苦しくしてしまってはいないでしょうか。

相手があれこれしてくれるのが当たり前と思ってないでしょうか。

やってくれて当然と思ってないでしょうか。

誰かに過剰に期待しなければ何かしてもらえただけでありがとうと感謝できます

自分自身にも過剰に求め過ぎてあれもこれもやらないといけないと、

自分自身を縛ってはいないでしょうか。

やらないといけないと思うことは逆にやらなくなるものです。

あれできたらいいな〜、お、出来たじゃん自分!

という風に出来た自分を褒めてあげましょう。

そうしたら他にやりたかったことも気づけば終わっている何て事もあります。

あれもこれもと自分自身を縛り付けず、気楽に生きましょう。

自分の直感や楽しみたいと感じる方に進んでいきましょう。

その方がうまくいく気がします。

1人でも多くの人のこれからが笑顔になるといいなと思いながら今日は終わりにします。

それではまた。

 

 

ポイント

・本音で生きる

・言いたいことを言う

・やりたくないことは極力やらない

・ストレスの9割は人間関係

あえてジャッジしなくても良いのではないか。他人は他人で自分は自分です。

人生は勝負ではない。限られた時間を楽しむものだ。

様々な場面においてあいつはこうだ、こいつはこうだとジャッジしてマウントを取って来る人が多い世の中です。

相手のことを思って言っているつもりがいつの間にかマウントを取ってしまっていることはないでしょうか。

相手が自分の思うように動いてくれなかったからと言って、あいつはダメだとか言ってないでしょうか。

自分が勝手に期待して他人が期待通りに動いてくれなくて自分が勝手に失望してはいないでしょうか。

引っくるめて、なぜ他人をジャッジしてしまうのでしょうか

 私が思う理由としては二元論で物事を考え過ぎているという点です。

二元論で考えるが故に、自分と違う考えの人を敵と見なしてしまうのです。

例えば、「好き」や「嫌い」、「良い」、「悪い」などです。

自分には自分の好き嫌いがあるように他人にも好き嫌いがあります。

自分には自分の信念や正義があって、他人も同様に正義や信念があるのです。

自分の好きなことが他人も同様に好きな訳ではありません。

自分が苦手なことや嫌いなことは相手が好きなことも当然のようにあるのです。

白か黒の二択ではなくグレーだって当然のようにあります。

自分にとっての良いは相手にとっての悪いもあるように、現実は常に矛盾しているという側面があるのです。

常に矛盾が生じている現実の中で優劣を決めることはそんなに重要なことなのでしょうか。

状況が変われば優劣なんて一瞬でひっくり返ります

 

そこまで他人が気になるのであれば、住む世界を棲み分ければ良いのではないでしょうか。

必要以上に干渉しなければ、優劣をつけることも必要なくなります

わざわざ自身が相手にするのも相手にされるのも無くなります。

自身の中で本当に大切だと思うことだけに集中していく方が有意義に過ごせるのではないでしょうか。

自分以外は全員他人です。

自分自身が本当に大切だと思うことや楽しいと思うことをやっていきたいものです。

時間が戻ることはありません。

無理せず、楽しんでいきましょう。

 

思い切って、自分と他人の世界を割り切って棲み分けることが大切。

自分は他人にはなれないが、他人も自分にはなれない。

 

 

常に世界のどこかで朝が訪れている。

今日本が夜なら日本の裏では朝がやってきている。

今どこかで雨が降っているならどこかでは晴れ間が広がっている。

世界は広いなと日々思います。

楽しいと思うことも沢山あれば、しんどいな、苦しいなと思うことも沢山ある。

今苦しい、しんどいなと思うことも終わりを迎える時が来る。

そして楽しいと思うことがやってくる。

苦しい時やしんどい時は大抵、視野や見えてる世界が狭くなってしまいがち。

絶望感に包まれてしまうようなことがあってもうダメだと思うこともあると思う。

絶望するからこそ希望が生まれるのだ。

どんな時でも希望はあるはずだ。

ただそれに気づいていないだけなのだ。

もうダメだと思って諦めた時に、思いがけないタイミングでチャンスがやってくる。

掴もう掴もうとすると離れていき、忘れたタイミングで全て叶っていることもある。

本当に人生って面白いなと思い知らされる。

今あるものに集中する。

このことは本当に大切で、人生の本質だ。

 

始まりがあれば終わりがある。

全ての物事は一過性に過ぎない。

 

一喜一憂し過ぎて感情に振り回され過ぎないことが重要。

自分で人生の主導権を握ること。

信じたいものを信じれば良いし、信じたくないものは信じなくて良いのだ。

 

自分で自分の世界を狭めることなく、広い視野や視点を持って、日々最善を尽くしていこう。

 

どんなことも全て自分しか味わえない大切な経験なのだ。

いつも晴れていたら、大地は乾いてしまう。

いつも雨でも地面は腐ってしまう。

全てはバランス。

自分という軸を持ってバランスを保って生活していこう。