あえてジャッジしなくても良いのではないか。他人は他人で自分は自分です。
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人生は勝負ではない。限られた時間を楽しむものだ。
様々な場面においてあいつはこうだ、こいつはこうだとジャッジしてマウントを取って来る人が多い世の中です。
相手のことを思って言っているつもりがいつの間にかマウントを取ってしまっていることはないでしょうか。
相手が自分の思うように動いてくれなかったからと言って、あいつはダメだとか言ってないでしょうか。
自分が勝手に期待して他人が期待通りに動いてくれなくて自分が勝手に失望してはいないでしょうか。
引っくるめて、なぜ他人をジャッジしてしまうのでしょうか。
私が思う理由としては二元論で物事を考え過ぎているという点です。
二元論で考えるが故に、自分と違う考えの人を敵と見なしてしまうのです。
例えば、「好き」や「嫌い」、「良い」、「悪い」などです。
自分には自分の好き嫌いがあるように他人にも好き嫌いがあります。
自分には自分の信念や正義があって、他人も同様に正義や信念があるのです。
自分の好きなことが他人も同様に好きな訳ではありません。
自分が苦手なことや嫌いなことは相手が好きなことも当然のようにあるのです。
白か黒の二択ではなくグレーだって当然のようにあります。
自分にとっての良いは相手にとっての悪いもあるように、現実は常に矛盾しているという側面があるのです。
常に矛盾が生じている現実の中で優劣を決めることはそんなに重要なことなのでしょうか。
状況が変われば優劣なんて一瞬でひっくり返ります。
そこまで他人が気になるのであれば、住む世界を棲み分ければ良いのではないでしょうか。
必要以上に干渉しなければ、優劣をつけることも必要なくなります。
わざわざ自身が相手にするのも相手にされるのも無くなります。
自身の中で本当に大切だと思うことだけに集中していく方が有意義に過ごせるのではないでしょうか。
自分以外は全員他人です。
自分自身が本当に大切だと思うことや楽しいと思うことをやっていきたいものです。
時間が戻ることはありません。
無理せず、楽しんでいきましょう。
思い切って、自分と他人の世界を割り切って棲み分けることが大切。
自分は他人にはなれないが、他人も自分にはなれない。